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好きなことと共に生きてゆく

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信じるという教育。「砂時計」という傑作漫画

「教育って洗脳って言うじゃないてすか」

「洗脳されたのが先生でラッキーだった」

 

中学生の頃 クラスの女の子で漫画「僕等がいた」と「砂時計」が流行った時期があった。共に第50回(平成16年度)小学館漫画賞(少女向け部門)を受賞し、映像化されている作品。娯楽がない田舎の中学生が夢中にならないわけない。

この2作品、人によってもちろん好みは分かれるのだが私は圧倒的「砂時計」派。実際のところ自分が今まで読んだ漫画の中でベスト3に入る大好きな作品なのです。

 

 

冒頭の文はその漫画の中に出てくるセリフの1つ。

最初に読んだ時ものすごく衝撃的だった。「洗脳」という真っ黒で重い塊のような言葉が「教育」という真っ白でほんの少しの曇りもない言葉と一緒に使われていたから。

 

 中学生の頃 理科の授業が好きだった。

別に実験や化学式が好きなんじゃなくて、ただ先生の話が面白かったから。

テストも面白くて必ず最後に小論文を書くテストで(国語か)

本当に文章を書くことが嫌いなひとにとっては地獄のテストだったと思う。

 

そんなとても印象深い先生だったのですがその中でいまだに忘れられない話がある。

「人間の本質は善か。悪か。」

人間は生まれたその時は善しか持ち合わせておらず、生活環境など何らかの原因で悪を宿らせ俗にいう「犯罪者」になるのか。

それとも

人間は生まれ持った悪を常々隠し生きていくのか。隠しきれなかった者が「犯罪者」となるのか。

 結論からいうと先生は

「善であると信じたい。」

なぜなら

「一度過ちを犯してしまって人間でも必ず立ち直れると信じたいから。性悪説はその可能性を根本から否定している。」

 

今思えば教育者としての立場上多分この答えを選ぶことは明白ではあるのだけど、単純な私は好きな先生のいう言葉をそのとおりだと納得し、以来この言葉を信じ続けている。

そう「教育」され、「洗脳」されたのだ。

 

それからは徐々にではあるけれど、たとえ自分が言われて嫌なことを言われたとしても「なぜこの子はこんなことをいうのだろう」と考えられるようになったし、物事の根本についてきちんと考えられるようになったと思う。

 

人生は奇跡であふれている。

 一生のなかで出会うことができる人は限られているし、密接に関わる機会を与えられる人などほんの一握りである。

こんな奇跡的な世の中で人間を「生まれ持った悪」と認識して出会うより、私は

「善であると信じたい」

 

今、理科の先生に会って言いたいことは

「洗脳されたのが先生でラッキーだった」ってこと。